ゲームの「謎解き」は、「試験問題」のようなもの、だった
ゲームについて、私は昔から、参考程度に「データ」を見ることはあっても、攻略情報を見ることは滅多にありませんでした。
その理由について語ったことがかつてありましたけども、もっと分かりやすく、端的な表現を思いつきました。
私にとって、
ゲームにおける「謎解き」は、
(リアルで)「試験問題」に挑戦する感覚と同じ
だったのですねー。
開発側が出題者で、
プレイヤー側は要所要所で出される設問に対して考え、適切な答えを導くことでゲームを進めてゆく・・・・・・
そのように見ていたようです。
そりゃー、可能な限り自力で解こうとするわけです。
思考を重ねても解けなかった場合に、ものすごく悔しく感じるのも頷けます。
もっとも、謎が解けなくてクリアできなかったゲームは、これまでのゲーム人生でほとんどなかったですけど。
謎解きが難しいという評判のゲームはしなかったので(笑。
アクションRPGの謎解き、くらいはやってましたけどねー。
そして、攻略情報を見るということは、
問題は解けていないけれど、いくら考えてもお手上げなので回答を見る、そんな感覚。
この時点で、自ら回答を導き出すことで得られる喜びを、喪います。
自力で解けなければそうするしかないんですけど、つまり<降参>。
私は(ゲーム内の)敵や仕掛けに負けたのではなく、リアルな人間(出題者)に負けたのですねぇ。
謎が解ける / 謎が解けない
というのは、私にとってはそういう感覚なのでした。
ちなみに、明確な「仕掛け」がない場合で、力や速さの差で負けた場合は、それほど悔しさはありません。
そういうのは、何度も繰り返して動きのコツを掴めばなんとかなるものですし、キャラの力が不足しているなら、装備を調えたり育てたりすればいいだけなので。
むしろ、力押しで負けた場合は清々しさすら感じます(笑。